京都・伏見〜大坂間は淀川とその川沿いの「京街道」が主要交通として「伏見」「淀」「枚方」「守口」の 4つの宿場町が発展し、多くの人や物資が行き来する大動脈でした。
大坂側の起点である高麗橋は12あった 公儀橋のひとつで、かつてその周辺には豪商の店舗が立ち並び、日本第一の商都・大坂の富が集中する、まさ に大坂の心臓部でした。
大坂は天下の台所として、物流ネットワークの拠点となり淀川水運、太平洋の海運 ネットワーク(樽廻船)と日本海の海運ネットワーク(北前船)により栄えていました。
ヒト・モノ・カネ・ 情報が淀川流域を超えて水運ネットワークにより流通するともに、街道沿いには多くの商店が並び、それがや がてアーケード型商店街へと発展していきました。
しかし、この数十年のうちに交通手段の変化や物流ネット ワークの世界的規模拡大に従い、「商い」そのものが変化し、それに対応できない商店街が取り残される結果 となって現れています。
地域やコミュニティが大きく変化しようとしている変わり目で、私たちにとって住みよい「場」について考えてみませんか